宿


近世のクロスロード松崎宿

薩摩街道、長崎街道、日田街道
が交差する交通の要衝でした。    
現在は、国道3号線、九州大分長崎の高速道路が西に移動しましたが
今もその名残を伝えています。                 

 松崎は近世のクロスロードに位置します。福岡藩と秋月藩の不仲などもあり、秋月街道より長崎街道の交通量が多くなりますが、薩摩街道秋月街道が交差していました。またすぐ西隣りに田代・原田を通る長崎街道、北隣りには日田街道がとおり賑わっていました。

 今でいえば、国道3号線が松崎宿を通り、長崎・大分・小倉・鹿児島を結び参勤交代の主要道路として利用されました。余りの賑わい振りか、南に位置する古飯も元禄8年(1695年)庄屋・百姓の願いにより「小宿取り立て」となっているほどでした。
 下図を、見れば一目瞭然「松崎宿」の意味が分かります。
上は南構口(野田氏撮影)    
北部九州・街道概略図
秋月街道 小倉(小倉北区)
呼野(小倉南区呼野)
香春(田川市香春町香春)

猪膝(田川市猪井金2区)
大隈(嘉麻市)
千手(嘉麻市)
秋月
野町
松崎

府中(久留米市御井町)
 諸説がある。松崎、又は田代までや久留米までのものが
ある。地勢上、田代までとした。江戸時代前期に多くの大
名が参勤交代道として利用した。

 秋月藩(毛利・島津と関係が深い)は、久留米藩と仲が悪
く中世以来利用されてきた本郷道を利用したと言う。本郷
道は寛永14年(1637年)野町宿がたてられ秋月街道が
付替えられた。これは島原の乱(1537年)に秋月藩が
出兵時に利用したのに由来するという。キリスト教布教
の道
としても知られる。
大刀洗・今村教会は本郷の南西の本郷道沿いにある。
 長崎街道は、慶長11年(1606年)の冷水越え開通
までは整備されておらず秋月街道は、「古長崎街道
であったと言われる。

秋月−松崎間が開通するのは、延宝2年(1674年)これ
により松崎街道は横隈街道に代わり参府路となる。
薩摩街道 松崎
府中
羽犬塚
瀬高
原町
北端は、日田街道と交差する石櫃。(福岡県)
現在の国道3号線とほぼ一致する。
日田街道 箱崎
二日市
(石櫃)
甘木
志波
久喜宮
日田
博多−日田間をむすぶ重要な道路。
長崎街道 小倉
黒崎宿
木屋瀬
飯塚宿
内野宿
山家
原田
田代宿
轟木
中原
神埼宿
境原
佐賀宿
牛津宿
小田宿
北方宿
塚崎
嬉野宿
彼杵
松原宿
大村宿
永昌
矢上宿
日見宿
長崎
 長崎−嬉野−佐賀−田代−飯塚−小倉間を結ぶ主要幹
線道路である。中世以降秋月街道が主に使われていた
が、冷水峠の整備開通によって取って代わることになった。
八丁峠は、九州の箱根と言われるほど難所。
標高500mを越え車の通りも疎ら。冷水越えはその約半
分、今は有料のトンネルがありトラック等の交通量も多い。
松崎本郷道 松崎
甲条

本郷
 松崎宿の近隣に、本郷宿横隈宿があった。本郷道は、
本郷−久留米間を通る旧秋月街道だ。松崎宿が開かれると、
本郷宿と横隈宿が結局廃れる結果となった。松崎本郷道は、
そのころの開通と思われる。
 江戸期の街道・間道のほとんどが失われている今日昔の
風情が一部でほぼそのまま残されている所として貴重である。
 道の湾曲は今では考えられないくらい湾曲とS字カーブを
描いており感動的でさえある。今は通る人とて無いが、三頭
が本郷の知人を訪ねたおり通った道でもある。

途中の甲条も普段通り過ぎる集落だが昔ながらのお地蔵さん
が祠に残っていて微笑ましい。お稲荷さんも、ここまで大切にさ
れているところも珍しい。とても立派だ。本郷も意外と歴史建物
が残されていて修復が行われていた。まだ予備調査だが掲載
しておく。一度歩かれることをお勧めする。
古図(江戸期:大日本道中細見記)
松崎本郷道 街道概念図では、GREENの道
1松崎宿のすぐ東 今は犬の散歩道、通る人とてなく車がやっと通れる幅だ。
しかし、この道はすごい。石や樹をよけ畦を利用し、まるでガウディ曲線を描いて走るのである。今なら絶対描かない設計図!
2とろとろ坂付近 葦が原入り口、松崎宿芝居口を抜け大刀洗川に向かう坂道。丘陵地帯から川におりるので結構な坂道だ。本郷の人たちが松崎まで芝居見物や買い物に通った坂道だ。
葦が原 葦が原、勝手に付けた休耕田である。古は相当な大刀洗川の湿地帯であったろう。米作の不振でうち捨てられて、昔の風情満点の風景が広がる。狸や狐でも出そうな芦原だが遠くの湾曲は見にくいがS字カーブは見事だ。これぞ「路」よくぞ作った。この湾曲、直線の車道に慣れきった者にとって感動的ですらある。こんな路は、現代ではあり得ないであろう。無くなる運命かもしれないのだが。。。
4葦が原出口 葦が原の出口、後ろは「のなか橋」左手は大刀洗川の土手である。このカーブ見事というほかない。是非歩かれよ!
5のなか橋
(大刀洗川)
大刀洗川に架かる、のなか橋、正面は本郷に続く曲がった道。本郷までまだある。
6甲条のお地蔵さん 甲条まだ詳しく調べていないが、かなり古いものが残っている。大事にされている様子がわかる。お地蔵さんは2体ほどある。本当はもっとあったのかもしれない。間道沿いに祠が建てられている。
7お稲荷さん 久留米のお殿様の眼病を治したとされるお稲荷さん。昔は結構見かけたが、小さいが立派な鳥居が立ち並んでいる。お祭りかなにかの日には賑わうのだろうか、そのときは行ってみたい気にさせる。
8甲条北坂 乙隈あたりからこの付近まで、人が作ったような台地がある。松崎城もこんな地形を利用して築城したが、この坂の右手(西)の甲条神社もそうした所に建っている。この坂も切り通しになっているが高さは7〜8m位はある坂道。
9本郷 立派に修復された歴史建物。三原城の隣り
10本郷三原城 歴史建物、三原城すっかり修復されていた。
11本郷 歴史建物。格子がすばらしい。造作等はない簡素な作りだが、玄関が当時のままのようだ。
12本郷 ここは、醤油屋さん看板があるが今もまだ作っているのだろうか。
13本郷 歴史建物。三原城の東
14本郷慶運寺 三原城の真向かいにある慶運寺。
14慶運寺観音様 約30体くらいある。住職によると結構新しく明治以降だとか、あちこちお参りに行く必要がないように集めたとか!
14廃仏毀釈 廃仏毀釈。元は街道沿いにあったもの。ほぼ首が落とされていた。中世からの町、歴史の風はここにも陰を落としたようだ。慶運寺にひっそりとあった。
江戸期の街道の風情を残す松崎本郷道