近世のジャパンワックスロードと松崎宿

薩摩・秋月街道は、近世のジャパンワックスロードでした。
江戸末期、農業の技術が向上し、福岡・田主丸・小郡に相次いで
ハイテク技術が誕生し、「松山櫨」「伊吉櫨」が発見・開発され一躍時代の
最先端を走り抜けます。小郡・松崎はその中心となり木蝋業は大隆盛を極めました。

Satsuma and the Akizuki highway were the modern Japan wax loads.
The technology of the Edo last stage and agriculture improves,

high-tech technology is successively born to Tanushimaru and Ogori,
Fukuoka, and "Matuyama Japan wax" and "Ikiti Japan wax"
are discovered and developed, and run through the tip of a time suddenly.
Ogori and Matsuzaki took the lead and haze wax business reached
to an extreme of large prosperity.


ここは

櫨の国

櫨の宿場町

古の風そよぐ

筑後松崎宿へ

ようこそ!

上は「伊吉櫨」の古木
江戸末期の農業技術ブームの先駆は、まず那珂川町山田の庄屋、高橋善蔵(1708〜1761年)が肥前を回り栽培方法を学「窮民夜光の珠」(櫨栽培の手引書、後福岡藩が藩内に配布)を発表で始まります。
 ついで田主丸秋成の竹下武兵衛(生葉郡亀王組大庄屋)が「農人錦の袋」発表し、筑前から買い求め植えています。そして「多年の試を積て験を得た」という
「松山櫨」を発見します。
 この2つの農業書をもとに、「経験を加え書かれている」といわれる小郡町庄屋 池内孫左衛門(1693〜1771年)によって「孫左衛門の櫨木仕立覚」が書かれました。内山伊吉(1730〜1814年)は、こうした中で
「伊吉櫨」をついに発見します。
 後に肥前、肥後、薩摩など九州一円や山口にも植樹されることになります。元々櫨栽培のふる里へ里帰りすることになる「伊吉櫨」の接ぎ木の技術者を松崎から招いています。薩摩の地の殆どがこの伊吉櫨に植え替えられたといいます。松崎宿は、薩摩藩の常宿でもありました。松崎周辺の櫨並木を羨望の目で見ていたのでしょうか!。
薩摩・秋月街道は、蝋や技術者が行き交う「木蝋の道」(ジャパンワックスロード)でした。
「伊吉はぜ」が発見されるまで、そしてその後。
●櫨栽培のはじまり (鹿児島)
1637年 大島代官が櫨苗を
琉球から持ち帰り指宿・山川に植える。

(熊本)
1633年 野山に櫨苗を植える。
1745年 筑前・筑後に派遣し視察栽培拡大の方策を建言。

(筑前)
1730年 那珂郡山田村の庄屋・高橋善蔵、肥前から苗を買い、
      薩摩・肥前の技術導入をはかる。「窮民夜光珠」は有名。

(筑後国久留米)
1742年 国分村鞍打に櫨を植える。生葉郡大野原に1万本を植える。
      筑前より技術導入。

(小郡)
1750年 庄屋池内孫左衛門、島原より苗を買い求め植える。

●栽培技術の夜明け
  (3人の技術者) 
高橋善蔵(1708〜1761年)筑前国那珂郡山田村(那珂川町山田)庄屋 
1730年 肥前を回り栽培方法を学び山田村に植える。
1747年 「窮民夜光の珠」(39才)
      (櫨栽培の手引書、後福岡藩が藩内に配布)

竹下武兵衛(1703〜1781)生葉郡亀王組大庄屋:田主丸秋成
1750年 「農人錦の袋」(内容は夜光の珠に似ているという)
      肥前・筑前から買い求め植えている。
      「
松山櫨」の発見(日田、豊前、豊後、伊予へ頒布)
      (多年の試を積て験を得た)
  
□小郡町庄屋 池内孫左衛門(1693〜1771年)
      島原から櫨樹を買い求め自分の畑で苗を育て櫨を奨励した。
1770年 「孫左衛門の櫨木仕立覚」
      窮民夜光の珠、農人錦の袋を参考にし経験を加え書かれている。
内山伊吉(1730〜1814年、85才)
      
伊吉櫨の発見(肥前、肥後、薩摩など九州一円に植樹された。)

□大蔵永常(日田の町人)
1802年 農家益(櫨木の植樹法及び製造技術書)
      大蔵は江戸期の3大農学者の一人

●技術の伝播 □久留米藩
1770年代 伊吉櫨栽培を奨励。(岡山村今福、八女郡・福島町)
       松山櫨(耳納山系 生葉、竹野、山本郡)
1841年  天保の改革で「株仲間解散令」により価格統制がはずれ
       蝋価格急騰
       これにより専売制度が崩壊。
1850年  田代領から2万本の発注を受ける。熊本藩も山鹿に取入れる。
1851年  問屋株仲間の結成を再び許可
       生蝋を専売制にする。
       直接取引が主流となっていた。(小郡の影響は余りない。)

□山口藩
1856年  櫨木2千本植付けのため「筑後より植付方心得候者の派遣を要請。
       (
小郡から吉兵衛が派遣さる。歴史地理学年表)

□鹿児島藩
天保10年   「大阪より櫨苗を買い、
松崎より接木培養の師を招く
        (御改革取扱向御届手控:鹿児島県立図書館)

●木蝋業による
  発展と没落
  ・幕末に木蝋業が盛んだったのが、日田蝋と小郡蝋だ。
  
  ・明和年間に蝋が商品として大量に大阪方面に出される。
   (櫨実買付け資金は上方商人より融資を受けていた。)
  ・久留米藩の輸出高は、1位種油、2位蝋、3位藍染め、
   4位お茶と紙である。
   久留米藩輸出の生蝋の約半数が小郡産であった。
  ・貸金会社の設立(明治期、蝋業で蓄えた資金を持ち寄った。)
    鰺坂:明十社、小郡:伍盟社、立石:保財社、後銀行となる。
  ・明治6年の蝋価格の大暴落
    各地で櫨木伐採が始まる。伐採禁止(三潴県令)も効果はなかった。
●松崎宿と木蝋業   糸屋、鶴小屋(鋤崎に櫨山があった。)が蝋屋だった。
  ・松崎に宿泊した、河合継之助の「櫨多し」
現在の木蝋・はぜ実の生産地は?
特用指定品目 木蝋 はぜ実
福岡県 みやま市
(瀬高・高田)
前原市、久留米市、飯塚市、嘉麻市
八女市、筑後市、黒木町、広川町
みやま市(瀬高町、山川町、高田町)
現在も、前原を除き、薩摩・秋月街道=ジャパンワックスロード沿いで生産が行われているのが分かります。水俣の「侍地区」が多いとされ、その多くが、みやま市に集められ木蝋が生産されている。
(引用:特用林産指定品目・福岡県より)
 用途は多岐にわたる。和ろうそく、高級化粧品、お相撲さんの鬢付用、IT機器など、外国にも輸出されている。特に和ろうそくは「煙」(スス)が少なく、主流のパラフィンろうそくは、すすが一端付着すると取れにくいが、木蝋の和ろうそくは、簡単に拭き取ることができるので、京都・奈良の神社、文化財建築での使用には無くてはならないものになっている。また、和ろうそくの芯は太く「光源」としてもすぐれている。
木蝋の用途は!
はぜの実 櫨の実は、かって筑後一円に植えられ米の次ぎに重要な換金作物でした。櫨の実ちぎりは、お茶やさんが多く農閑期の落葉する冬場に行われています。

現在でも、伊吉、昭和福はぜ等が生産されている。伊吉櫨は融点が比較的高く、実際はブレンドされて出荷が行われている。
搾り機 愛媛・内子町で復元された櫨の実の搾り機、一端蒸したものをこれで搾りとる。現在は、有機溶剤を利用したりする。
灯芯草の束 灯芯草の髄を抜いたもの、スポンジのように柔らかいが、それより優れもの!
ろうそくの芯 すばらしい、芯の芸術品(福岡県産)すぐ近くで作られている。驚いた!とても軽い!そして蝋をよく吸い上げる!
和ろうそく 少し臭いがする。櫨にしか含まない「日本酸」のにおいか?愛着が湧いてくる!
和ろうそくの炎 この素晴らしい和ろうそく「炎」を見よ!
燃焼系で最も優れているといわれる和ろうそくの炎・光すべて自然と技術の融合である。
和ろうそく!
 和ろうそくの出来るまで!はぜ実・搾り・生蝋・芯・手がけ・成形・製品の過程を経て造られる。特に芯は、灯芯草(い草)から作られ福岡県でも一部生産されるが、外国産も輸入されている。芯作りは、難しく県南でも技術者は少なく限られた地区で行われているのみである。
PHOT提供は、松山櫨復活委員会
急がれる、産業文化遺産の“櫨の国”の「伊吉はぜ」保存!
 小郡・松崎地区で「櫨」は殆どが切り倒され限られた箇所に僅かに残されています。
 筑後地方は「櫨の国」とまで言われ隆盛を極めた木蝋の一大産地でした。その基礎を作った「伊吉はぜ」小郡の重要な「産業文化遺産」です。
 後世に、残し大切に保存しなければ失われてしまうでしょう。保存・復活にご協力お願いします!

 
昭和福ハゼ 茎房が短く、果実は中粒で核が細い。果肉が豊富であるため、蝋の含有量が多いことは最高である。蝋の色はよいが質がやや軟らかく、隔年結果の傾向が強い。
長崎県島原の原産で、原木は島原市千本木にある。
葡萄ハゼ 茎房が長く、実は最も大きく、蝋の含有量も昭和福ハゼについで多い。蝋質は硬く粘りもあり特殊用途にも使用され、優良品種であるが隔年結果の傾向が強い。
和歌山県原産で、九州では宮崎県が多い。
伊吉ハゼ 実は大小の二種類あり、大粒の方が優良である。
枝条がよく繁茂し収穫量も多い。蝋質は粘りがあり、豊凶の差が少なく、やや晩生で収穫も20日ほど遅れる。
枝はよく曲がり採取には便利で横広い扇形の見事な樹形となる。
福岡県三井郡の原産で、筑後地方に多く栽培されている。
松山ハゼ は果肉が多く、蝋分も多い。隔年結果の傾向がある。
やせ地の栽培にも適するので、全国各地に普く栽培されている。
福岡県浮羽郡の産である。
王ハゼ 形は松山ハゼに似ているが、茎房は長く、果実は中粒である。蝋分が多く、蝋質も優良である。愛媛県の原産で、原木は同県周桑郡中川村にある
利太治ハゼ 小粒多産で隔年結果もなく、蝋分も比較的多い。愛媛県宇和郡宮内村で発見されたもので、愛媛県下で、多く栽培された。原木は同県宇和郡宮内村にある。
はぜの種類は?