近 世 の ジ ャ パ ン ワ ッ ク ス ロ | ド |
Satsuma and the Akizuki highway were the modern Japan wax loads.
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●櫨栽培のはじまり | (鹿児島) 1637年 大島代官が櫨苗を琉球から持ち帰り指宿・山川に植える。 (熊本) (筑前) (筑後国久留米) (小郡) |
●栽培技術の夜明け (3人の技術者) |
□高橋善蔵(1708〜1761年)筑前国那珂郡山田村(那珂川町山田)庄屋 1730年 肥前を回り栽培方法を学び山田村に植える。 1747年 「窮民夜光の珠」(39才) (櫨栽培の手引書、後福岡藩が藩内に配布) □竹下武兵衛(1703〜1781)生葉郡亀王組大庄屋:田主丸秋成 □大蔵永常(日田の町人) |
●技術の伝播 | □久留米藩 1770年代 伊吉櫨栽培を奨励。(岡山村今福、八女郡・福島町) 松山櫨(耳納山系 生葉、竹野、山本郡) 1841年 天保の改革で「株仲間解散令」により価格統制がはずれ 蝋価格急騰 これにより専売制度が崩壊。 1850年 田代領から2万本の発注を受ける。熊本藩も山鹿に取入れる。 1851年 問屋株仲間の結成を再び許可 生蝋を専売制にする。 直接取引が主流となっていた。(小郡の影響は余りない。) □山口藩 |
●木蝋業による 発展と没落 |
・幕末に木蝋業が盛んだったのが、日田蝋と小郡蝋だ。 ・明和年間に蝋が商品として大量に大阪方面に出される。 (櫨実買付け資金は上方商人より融資を受けていた。) ・久留米藩の輸出高は、1位種油、2位蝋、3位藍染め、 4位お茶と紙である。 久留米藩輸出の生蝋の約半数が小郡産であった。 ・貸金会社の設立(明治期、蝋業で蓄えた資金を持ち寄った。) 鰺坂:明十社、小郡:伍盟社、立石:保財社、後銀行となる。 ・明治6年の蝋価格の大暴落 各地で櫨木伐採が始まる。伐採禁止(三潴県令)も効果はなかった。 |
●松崎宿と木蝋業 | ・糸屋、鶴小屋(鋤崎に櫨山があった。)が蝋屋だった。 ・松崎に宿泊した、河合継之助の「櫨多し」 |
特用指定品目 | 木蝋 | はぜ実 |
福岡県 | みやま市 (瀬高・高田) |
前原市、久留米市、飯塚市、嘉麻市 八女市、筑後市、黒木町、広川町 みやま市(瀬高町、山川町、高田町) |
はぜの実 | 櫨の実は、かって筑後一円に植えられ米の次ぎに重要な換金作物でした。櫨の実ちぎりは、お茶やさんが多く農閑期の落葉する冬場に行われています。 現在でも、伊吉、昭和福はぜ等が生産されている。伊吉櫨は融点が比較的高く、実際はブレンドされて出荷が行われている。 |
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搾り機 | 愛媛・内子町で復元された櫨の実の搾り機、一端蒸したものをこれで搾りとる。現在は、有機溶剤を利用したりする。 | |
灯芯草の束 | 灯芯草の髄を抜いたもの、スポンジのように柔らかいが、それより優れもの! | |
ろうそくの芯 | すばらしい、芯の芸術品(福岡県産)すぐ近くで作られている。驚いた!とても軽い!そして蝋をよく吸い上げる! | |
和ろうそく | 少し臭いがする。櫨にしか含まない「日本酸」のにおいか?愛着が湧いてくる! | |
和ろうそくの炎 | この素晴らしい和ろうそく「炎」を見よ! 燃焼系で最も優れているといわれる和ろうそくの炎・光すべて自然と技術の融合である。 |
昭和福ハゼ | 茎房が短く、果実は中粒で核が細い。果肉が豊富であるため、蝋の含有量が多いことは最高である。蝋の色はよいが質がやや軟らかく、隔年結果の傾向が強い。 長崎県島原の原産で、原木は島原市千本木にある。 |
葡萄ハゼ | 茎房が長く、実は最も大きく、蝋の含有量も昭和福ハゼについで多い。蝋質は硬く粘りもあり特殊用途にも使用され、優良品種であるが隔年結果の傾向が強い。 和歌山県原産で、九州では宮崎県が多い。 |
伊吉ハゼ | 実は大小の二種類あり、大粒の方が優良である。 枝条がよく繁茂し収穫量も多い。蝋質は粘りがあり、豊凶の差が少なく、やや晩生で収穫も20日ほど遅れる。 枝はよく曲がり採取には便利で横広い扇形の見事な樹形となる。 福岡県三井郡の原産で、筑後地方に多く栽培されている。 |
松山ハゼ | は果肉が多く、蝋分も多い。隔年結果の傾向がある。 やせ地の栽培にも適するので、全国各地に普く栽培されている。 福岡県浮羽郡の産である。 |
王ハゼ | 形は松山ハゼに似ているが、茎房は長く、果実は中粒である。蝋分が多く、蝋質も優良である。愛媛県の原産で、原木は同県周桑郡中川村にある |
利太治ハゼ | 小粒多産で隔年結果もなく、蝋分も比較的多い。愛媛県宇和郡宮内村で発見されたもので、愛媛県下で、多く栽培された。原木は同県宇和郡宮内村にある。 |